【新企画】ここにもあった!ロジスティクス(第1回)月面開発競争

【新企画】ここにもあった!ロジスティクス(第1回)月面開発競争

日刊工業新聞社「月面開発フォーラム」が示唆する未来の姿

既によく知られている通り、ロジスティクスの語源は「兵站」。つまり、前線が必要なものを、必要なタイミングで、必要量だけ供給し続ける後方支援戦略を指している。この戦略が機能しなければ、いかなる集団も自身の成長どころか、存続自体が危ぶまれることになりかねない。

かくも重要なロジスティクスは、普段気づかない意外な分野で時に縁の下の力持ちとして、時に前面で活躍するスタープレーヤーとして機能している。ロジビズ・オンラインの新企画は、様々な領域に存在するロジスティクスの動きを発掘、紹介していくことで、経済・産業・ビジネスの新たな姿を浮かび上がらせていく。

今回取り上げるのは「月面開発競争」。人類を再び月に送り込む米国主導の国際プロジェクト「アルテミス計画」が進む一方、中国も無人探査機による月面サンプルの回収に成功するなど、月をめぐる国際競争は本格化しており、民間企業の参入も活発だ。

宇宙空間の輸送技術が注目されがちだが、実は地上での後方支援が重要な役割を担う。地上ビジネスにフォーカスした日刊工業新聞社主催「月面開発フォーラム」に参加し、そのロジスティクス模様を読み解いてみた。


月面開発競争を支えるロジスティクスは、すぐ身近でも繰り広げられている(画像提供:NASA)

市場規模は日本の自動車関連産業の2.5倍

モルガン・スタンレーによると宇宙ビジネスの市場規模は、2016年の3500億ドル(約4600億円)から、2040年には1兆ドル(約130兆円)に成長する。これは、日本における20年の自動車関連産業の規模約60兆円の2.5倍に相当するだけに、その伸びしろの大きさに驚かされる。

日刊工業新聞社の「月面開発フォーラム」は、宇宙ビジネスの中でも月面開発市場を見据えて取り組みを始めている事業者間の交流を促し、共創・連携・協調の機会を設け、新たな産業としての発展を支援することを目的としている。2023年2月に同社が開催する展示会「国際宇宙産業展」をゴールに見据え、年間プログラムとして定期開催している。

筆者が参加したのは11月に開催された「第4回勉強会」。地球上からの後方支援ビジネスをテーマに設定していた。

月面開発は「資源ロジスティクス」なり

この勉強会では月面経済の市場予測について、PwCコンサルティングの榎本陽介TMTマネージャーが講演した。PwCはフランスを中心に、世界に7000人以上のデータ分析専門家を配置し、各国の宇宙プロジェクトの支援や宇宙ビジネスの市場調査などを行っている。

榎本氏によると、PwC宇宙チームが行った直近のリサーチでは、地球と月の間で人間や資源を運ぶ「月輸送市場」は2040年には380億ドル(約4兆9000億円)規模に、月の資源に関するデータ市場は2020から40年までの20年間で累計49.5億ドル(約6400億円)に、月面からのロケット打ち上げやインフラ建設といった「月資源活用市場」は2040年に約630億ドル(約8兆2000億円)規模に達することが見込まれている。つまり最も大きな市場となるのは、月資源の活用ビジネスだ。

月面では地球上には希少な資源も見つかっており、将来の有望な資源供給地として期待されている。従って月面開発ビジネスは「資源ロジスティクス」の側面を強く持つ。中国が2020年に無人月面探査ロケット「嫦娥五号」を着陸させた一帯は、重要鉱物のレアアース(希土類)鉱脈として有望視されているエリアであると指摘する有識者もいる。資源獲得をにらんだロジスティクス構築レースはとっくの昔に号砲が鳴らされているのだ。


PwCの榎本氏

月面開発ビジネス育てる“参入者”の安定供給が不可欠

こうした背景があるため、月面開発には輸送機器、インフラ建設、ロボット、ICTをはじめ、さまざまな産業分野のプレーヤーが、グローバル大手からスタートアップまで続々と参入し始めている。

事業者間の化学反応で生み出される新しい技術やサービスもまた、月面開発ビジネスの発展を左右する要素と考えられているため、数多くの企業を巻き込もうとするプロジェクトは政府でも民間でも打ち出されている。

すなわち、月面開発ビジネスの育成競争という“前線”では、難局を打破する柔軟な思想や高い技術を持つ多彩なプレイヤーを供給し続け、月面開発の推進力を絶やさないようにする“参入者のロジスティクス”も求められていると言えるだろう。筆者は日刊工業新聞社の「月面開発フォーラム」もこうした参入者のロジスティクスを担う一翼だと捉えている。

また、同フォーラムは講演とグループディスカッションの2部構成となっており、グループディスカッションでファシリテーターを務めた一般社団法人ABLabは、宇宙ビジネスに興味のある人の勉強会・人材交流・プロジェクト活動を手掛け、直近の2年間で5件の事業創出実績がある。伊藤真之代表理事は事業内容を、「今まで宇宙に興味のなかった人を巻き込んでいくためのコミュニティ」と称していた。これぞまさしく“参入者のロジスティクス”と呼べるだろう。


ABLabの伊藤氏


ABLabが開催している「オンラインプラネタリウム」。宇宙の魅力を伝える様々な活動を展開している(ABLabウェブサイトより引用)

宇宙保険というリスク補償もロジスティクス!

月面開発は巨額の資金を要する上に、非常時にも駆けつけることがほぼ不可能な場所でのビジネスとなる。失敗時のリスクを軽減するためには、リスク情報とリスク補償が継続的に供給される必要がある。そのためのビジネスが宇宙保険だ。

東京海上日動火災保険は50年以上にわたって宇宙保険を手掛けており、そのノウハウを応用して、4月には月面探査ミッションを支援する「月保険」を、英国の国際宇宙保険大手Beazleyと共同開発した。既に、ローバーによる月面探査プロジェクトを手掛けている日本企業ダイモンへの提供を決めている。

月面開発フォーラムでは東京海上日動火災保険の佐上雄祐航空宇宙・旅行産業部エアライン宇宙保険室課長が「月面探査まで宇宙保険の対象を広げる動きは、もう当たり前になっている」と強調した。

三井住友海上火災保険も、1975年に旧宇宙開発事業団(現JAXA)が初めて打ち上げた人工衛星「きく1号」の保険を引き受けて以降、宇宙保険ビジネスを手掛けてきた。2015年から英国ロンドンにMS Aerospace London Deskを設置し、航空宇宙保険専門駐在員を常駐させている。2022年10月には月面資源開発に取り組む日本のスタートアップispaceと共同で、月への航行・着陸を補償する「月保険」を開発した。

同じく登壇した三井住友海上火災保険の福原悠介企業営業第五部航空旅行宇宙課課長代理は「月保険の開発は、東京海上日動火災保険と当社が世界に先行している」と、日本の優位性を訴えた。

こうした宇宙保険の取り組みは、月面開発競争に多彩な挑戦者・再挑戦者を供給しつづける上での、“リスク補償のロジスティクス”と呼べるだろう。


東京海上日動火災保険の佐上氏


三井住友海上火災保険の福原氏


民間月面探査プログラム「HAKUTO-R」のランダー(月着陸船)のイメージ(三井住友海上火災保険プレスリリースより引用)

鳥取砂丘月面化など地球での兵站形成も始動

月面が新たなビジネスの前線になるといっても、月面だけで事業が完結するわけではない。「月面開発フォーラム・第4回勉強会」の基調講演で、一般社団法人日本航空宇宙学会2021年度会長の河野功氏は、地上局(地球上の後方支援拠点)と月面基地の役割分担について、次のように語っていた。

「月面基地では、人の五感により情報を直接収集したり、現場課題に直接対処したりすることが可能な半面、1kg当たり1億円も要する輸送コストなどの制約で、送り込める人間やコンピュータは限定される。一方の地上局は、大規模かつ最新のコンピュータや、多人数の専門家による対応が可能となる。従って月面基地での業務は、ルーチンワークと即時対応が必要な内容に集約し、計画立案・解析・人手を要する複雑な業務といった主要機能は、リソースが豊富な地上局が担う必要がある」

後方支援拠点が主要な機能を担う、これは兵站(ロジスティクス)そのものである。


日本航空宇宙学会前会長の河野氏

しかも、地球上での後方支援拠点は、地上局だけではない。XR(VRやARなど現実世界と仮想世界を融合する先端技術の総称)やロボット、AIなどを用いた宇宙コンテンツ開発を手掛けるamulapoの田中克明CEO(最高経営責任者)は「月面開発フォーラム・第4回勉強会」で、同社も参画する鳥取県のプロジェクトを紹介した。

鳥取県は、鳥取砂丘を月面開発のための模擬実証フィールドにするプロジェクトを進めている。月面と鳥取砂丘の類似性や差をデジタル技術で把握し、月面環境を想定した実証実験を行えるフィールドを整備しようという取り組みだ。鳥取砂丘が2016年に、月面探査ローバーの実証実験に用いられたことなどを契機に立ち上がった。


amulapoの田中氏

月面開発だけにフォーカスした取り組みではないが、大分県も2020年4月、米国の人工衛星打ち上げ企業ヴァージン・オービットとの間で、大分空港をスペースポート(宇宙港)として活用するパートナーシップを締結し、宇宙ビジネスを支える地球上のインフラ整備に乗り出している。

大分県を拠点に、宇宙ビジネスコンサルティングや精密衛星測位情報配信サービス、宇宙人材の育成などを手掛けるminsoraの髙山久信代表取締役は、宇宙ビジネスを軸とした大分県の地域振興事業を、大分県からのリモート講演で紹介した。


大分空港をスペースポートとして活用するプロジェクトには日本航空(JAL)なども参加を表明している(写真は同空港・JALプレスリリースより引用)

未来への人材ロジスティクス

月面開発には、地球と月を行き来する輸送技術や、月面でのインフラ建設技術、人間に代わり作業をこなすロボットの技術など、さまざまな先端技術が求められる。

鳥取県のプロジェクトに参画しているamulapoの田中CEOは、工学博士として国内外複数の企業・研究機関の月面探査ローバー開発に携わった経験を踏まえ、先端技術の育成には国家戦略が必要不可欠だと強調する。その上で、「国家戦略に必要なものは何か。それは世論の支持だ。したがって月面開発の技術競争で日本が劣後しないためには、より多くの国民の関心を引き寄せる必要がある」との持論を披瀝していた。

つまり国家戦略策定の場を“前線”と見立てた場合、“世論のロジスティクス”も欠かせないということだ。

また、月面開発は短期間で実る産業ではない。宇宙旅行ビジネスにしても、ベンチャー間で開発競争が本格化したのは2000年代初頭。宇宙飛行士ではない一般の民間人の宇宙飛行が実現したのは、2021年。20年近い歳月がかかっている。世代を超えて競争力を維持向上していくには、“未来に向けた人材のロジスティクス”が欠かせない。つまり子どもたちへの教育だ。

そこでamulapoは、XRを使って宇宙への関心を高めるための教材やエンターテインメントの開発に取り組んでいる。例えばNHK BS8Kの番組「人類未踏 火星への旅」向けに、一般財団法人リモート・センシング技術センターと協力して、火星の8Kバーチャル3DCGの制作に携わった。鳥取県のプロジェクトには、鳥取砂丘で月面探査を仮想体験するコンテンツの開発を通じて、市民の理解と関心を引き寄せようとしている。小学生を対象にした宇宙飛行士選抜試験の仮想体験コンテンツも提供している。

SCMの発想を十二分に生かそう

一般市民の宇宙に対する興味には、コロナ禍で苦境に立たされた旅行業界も着目している。歴代の日本人宇宙飛行士の搭乗支援を手掛けている日本旅行は2021年、宇宙事業推進チームを立ち上げ、異業種との共創に取り組んでいる。

ロケット打ち上げの見学ツアー、宇宙開発技術の体験型ワークショップ、国際宇宙ステーションの協力を得たSTEAM教育(Science=科学、Technology=技術、Engineering=工学、Art=芸術、Mathematics=数学を横断的に扱う次世代教育)など、内容は多岐にわたる。

これらのサービスの利用者のうち、旅行会社を初めて利用する客は26.7%、リピーターの比率は15.9%を占めている。「オンラインでの旅行予約が普及した現在では異例なほど高い数値で、宇宙への関心の強さがうかがわれる」と、宇宙事業推進チームの中島修氏は語っていた。


日本旅行の中島氏

また、全国の科学館などで、JAXAグッズや宇宙食(宇宙飛行士が宇宙滞在中に食べる食品)、宇宙グッズの販売を手掛けるビー・シー・シー「宇宙の店」の立元忍店長は「宇宙への関心を誘う啓蒙活動において、グッズ販売の効果は小さくない」と発表していた。

宇宙ビジネスの前線を支えるロジスティクスは、すぐ身近でも繰り広げられているのだ。今後は、多岐にわたる関係者を包括的に指揮できる機能の強化がさらに重要となるだろう。個々の領域のロジスティクスを束ね、調達から製造、開発までトータルで最適化するSCMの発想は、宇宙開発の領域でも十二分に生きてきそうだ。


「宇宙の店」の立元氏

(石原達也)

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