ロシアのウクライナ侵攻、「対岸の火事」にあらず

ロシアのウクライナ侵攻、「対岸の火事」にあらず

浮き彫りになった台湾海峡問題と日本のシーレーン

ロシアのウクライナ侵攻に対し、欧米諸国や日本は国際法や国連憲章に違反した行為と激しく反発、厳しい経済制裁を打ち出している。覇権主義を隠そうともしないロシアと西側諸国の対立は収束の着地点が現時点で全く見えない。

原油価格の高騰などの影響が危惧されているものの、約8000キロメートル離れた地の出来事に、日本の物流業界でもいまいち身近に感じられない向きが少なくなさそうだ。しかし、今回の紛争は日本が抱えている潜在的な脅威を否応なく面前に突き付けた。それは対応を誤れば決して物流業界も無傷ではいられない問題だ。


世界がプーチン大統領の暴挙に注目している

新秩序を建設したい中ロの思惑

ロシアのプーチン大統領は2月24日、ウクライナ侵攻開始後、ロシア国民向けに行ったテレビ演説で、開戦の口実としてまず、ウクライナ東部の親ロシア派住民を保護することを掲げた。

ここまでは戦争時によく聞かれる古典的なレトリックだが、演説ではさらに、ウクライナから「ファシスト」を排除し「非ナチ化」するという奇想天外な理由を挙げた。ちなみにウクライナのゼレンスキー大統領はユダヤ人で、発言には即座に猛反発している。当然の反応だろう。

この21世紀に国家同士の対称戦争、それも20世紀初頭を彷彿とさせるような侵略戦争が起きたことに世界は驚愕したが、建前すらまともに考える気がなく、覇権の熱望をむき出しにするロシアの姿勢には閉口した向きも多いだろう。「ロシアによるウクライナへの侵攻は、戦後私たちがつくってきた国際秩序に対する深刻な挑戦であり、断じて許すわけにはいきません。G7(先進7カ国)と連携し、直ちに対抗処置を取らなければなりません」。在任中、北方領土返還交渉などを通じてロシアと対峙してきた安倍晋三前首相がまさにツイッターで強調した通りだ。

原油価格高騰などの影響は開戦前から取り沙汰されている。一方で、日本が直接、戦闘に関与することはまずないだろうし、経済的な影響も間接的なものが大半であり、どこかで「対岸の火事」という認識が日本人の多くにあるのは否定できないだろう。

しかし、この問題は遠くウクライナの地での出来事と片付けることはできない。国際関係の専門家らからはアメリカ一強、「パクス・アメリカーナ(米国による平和)」という世界秩序が崩壊へ向かっているという見方も出ており、その秩序を壊したがっている代表的な国家がロシアともう1カ国、中国なのは論をまたないだろう。両国は決して蜜月ではないものの、パクス・アメリカーナ破壊の1点では間違いなく協調しているように見える。今回の侵攻はそうした国際政治のせめぎ合いと密接に絡み合っている。

第二次世界大戦の重い教訓

ウクライナのゼレンスキー大統領はロシアによる侵攻直前の2月19日、民間主催の大規模な国際会議「ミュンヘン安全保障会議」に出席し、ロシアへの経済制裁を求めた。NATO(北大西洋条約機構)による軍事介入が期待できない中、せめて僅かでも西側諸国の『本気』を示し、ロシアの暴挙を食い止めてほしいという切実な要望だった。

かつてドイツの総統ヒトラーは「ポーランドのために英仏が戦争をすることはない」と判断し、1939年にポーランドへ侵攻。しかし、実際にはドイツが攻め入った直後に英仏がドイツへ宣戦布告し、数千万人が犠牲になったとみられている第二次世界大戦の火ぶたが切られた。

英仏は戦争回避のために融和路線の選択肢を捨てきれず、結果的にヒトラーへ誤ったメッセージを送ってしまった。もしも戦争は許さないという英仏の断固たる『本気』をヒトラーへ正しく伝えることができていれば、少なくとも1939年時点で大戦勃発は回避されていた可能性がある。世界の歴史は大きく変わっていたかもしれないのだ。この教訓は実に重い。

軍事侵攻前に『本気』感じさせられなかったアメリカ

もちろんNATO、というよりアメリカがウクライナの危機を、指をくわえて見ていたわけではない。東欧諸国へ、ロシアを刺激し過ぎない程度の少数ながら軍を送っている。侵攻後にはただちに国際的な銀行決済ネットワークからの排除など厳しい経済制裁を相次ぎ発表しているし、追加制裁の準備も整っているだろう。

しかし、外交の専門家らの間では、これらはプーチン大統領にとって想定の範囲内のものでしかないとの悲観的な見方が根強い。経済的にも軍事的にもアメリカと正面衝突など到底不可能なロシアが、アメリカの『本気』を感じ取れば譲歩するしかない。アメリカのバイデン大統領が何を落としどころと考えているのか、胸の内は不明だが、少なくともロシアはアメリカの『本気』を感じなかったからこそ侵攻に踏み切り、静止を振り切っているのではないか。前述の歴史的教訓は結果として生かされなかったと言わざるを得ない。

ウクライナ情勢に強い関心を寄せる台湾

ウクライナ情勢に一見、直接関係なさそうだが、実はおそらく日本以上に、かたずを呑んで見守っている存在がアジアにある。それが台湾だ。

蔡英文総統はロシアとウクライナの緊張が侵攻前の頂点に達していた2月23日、「ロシアがウクライナの主権を侵害している」と強く非難。同時に、自らの軍に対して台湾海峡周辺軍事動向の監視・警戒強化を要請した。欧米の目がウクライナへ向いているこの機に乗じて、中国が台湾に対して何らかのアクションを起こすことを懸念しているのだ。

台湾はある意味で、当事国を除けばウクライナ情勢に対してどこよりも関心を持っていると言えるかもしれない。蔡総裁自身は「地理的に見ても台湾とウクライナの情勢は全く違う」と発言している。だが、目的達成のためにはなりふり構わない軍事大国と対峙を続け、外国からの有形無形の支援を受けなければ主権を維持することなど到底不可能という点で、台湾とウクライナは同じ境遇にあると言える。

アメリカが経済制裁強化のみではロシアを押しとどめられず、侵略戦争を事実上黙認してしまうのか。それとも安全保障上、絶対に見過ごせない暴挙を食い止めるために多くの犠牲は覚悟の上で『本気』を見せるのか。台湾にとっては「次はわが身」と気が気ではないだろう。

そして中国も同じくウクライナ情勢を、そしてアメリカの動きを注視している。もしアメリカが『本気』でウクライナを守る意思を示さなければ、中国に台湾海峡をめぐる情勢で誤ったメッセージを送りかねず、習近平国家主席が「台湾のためにアメリカが戦争をすることはない。経済制裁も致命的なものにはならない」と判断することにもなりかねない。もちろん、今すぐどうこうということはないだろうが、少なくとも台湾への軍事的圧力を強める上で習主席ら中国首脳部の心理的なハードルは下がることだろう。

元自衛官で自民党外交部会長を務める佐藤正久参議院議員は自身のブログで次のように指摘する。「気になる動きがある。中国の国際放送であるCCTVが、ロシア・ウクライナ国境付近の動きを放送しているのである。これは中国共産党が動き、危機の前線に中国軍人が情勢をつぶさに観察していると考えるのが自然だ。今日のウクライナを明日の台湾にしないためにも、日本政府はウクライナ危機に明確なスタンスで臨むべきだ」。

アメリカインド太平洋軍のフィリップ・デービッドソン司令官は昨年3月、上院軍事委員会の公聴会で、「6年以内に中国が台湾へ侵攻」する可能性について言及した。習主席の3期目の任期中にことが起こるのではないかという観測だ。杞憂に終わることを強く祈らずにはいられない。

日本にとって致命的となりかねない台湾危機

台湾周辺海域が日本のシーレーン(海上交通路)に重要な意味を持つことは言うまでもない。日本は輸出入のほぼ100%を海上輸送に頼っている。石油も鉄鋼も、その大半は南の海を通って運ばれてくるのだ。それだけではない。「台湾が仮に中国の策源地となれば、原子力潜水艦が配備され、太平洋へフリーパスに出入りできるようになってしまう」と懸念する有識者は少なくない。

そうなれば、現状では日本列島や台湾で『蓋』をして監視している中国潜水艦の動向が不明となってしまう。太平洋全域のシーレーンが脅かされることになるのだ。いや、そもそも台湾から太平洋側にかけての日本の周辺海域が中国の強い影響下に入れば、日本のシーレーンなど、どこにもつながらなくなってしまう。

また、発展著しい中国の産業だが、まだまだ遅れている分野も多い。半導体製造技術はその1つ。一方で半導体製造は台湾の主力産業でもある。この技術を中国が一方的な現状変更で押さえてしまえば、中国のエレクトロニクス産業が一気に世界最先端へと躍り出て、経済と軍事の両面でますます日本の脅威となることが予想される。

もちろん、台湾を手に入れた中国が、それで満足すると考えるのは楽天的に過ぎる。台湾のすぐ隣、たった170キロメートルほどの場所には尖閣諸島もある。海を挟んでいるとはいえ、モスクワとキエフ間の直線距離(約760キロメートル)の4分の1程度しかないのだ。中国の海警局所属船舶が近年、尖閣諸島周辺の領海にたびたび侵入していることを見ても、警戒が必要なことは火を見るより明らかだ。


尖閣諸島の魚釣島(内閣官房ウェブサイトより引用)


尖閣諸島などの位置(外務省ウェブサイトより引用)

中国にシーレーンを委ねる未来

これはあくまで、過去の外交上のやり取りなどを踏まえた想像の範囲内でしかないが、仮に中国が一方的に現状変更し、台湾を支配した場合、日本に対し、警戒感を解くべく、笑顔でこう語り掛けてくるかもしれない。「貴国のシーレーンはわが国が守るので安心して下さい」。四方を海に囲まれた日本にとって、それは「お前の生殺与奪はわれわれが握っているぞ」と同義語だ。

その時になってしまえばもう遅い。拡張を続ける中国海軍を凌駕する海軍力を整備するのか。高齢化と人口減少が加速し、今以上に国力が衰退していくのが避けられない日本にとって、それはいばらの道だ。話し合いでは何も得られない公算が高い。国と国の話し合い、外交とは経済、軍事力を背景に行うものだ。

こうなれば日本は『友好国』として笑顔で中国に付き合っていくしかないのかもしれない。きっと中国も笑顔で受け入れてくれるだろう。シーレーンも守ってくれるだろう。そしてその対価は想像できないほど果てしない。

そのような未来を避けるためには、日本を最重要の同盟国と位置付けているアメリカに『本気』になってもらうしかない。ウクライナはロシアによる電撃戦を挫き、精一杯善戦しているように見えるが、他国による軍事支援なしにはいずれ限界が訪れるだろう。独力ではどうにもならないという点では、日本もウクライナや台湾と大差はない。もちろんそのためには日本が『本気』を見せなければならない。ウクライナや台湾が健在なうちにだ。

今後、原油価格高騰に伴うガソリンや軽油の価格上昇に頭を悩ませる物流事業者が増えるかもしれない。だが、今、ウクライナで起こっていることは、日本のサプライチェーンの存亡にかかわる事態に発展する序章となるかもしれない。「対岸の火事と他人事を装っているように見られたら、台湾海峡危機が高まったときにブーメランとして欧州諸国からそっぽを向かれるのは日本である。まさに、ウクライナ情勢は他人事ではなく自分事なのである」。佐藤議員がブログで主張している言葉を胸に刻む必要があるだろう。

(芳士戸亮、藤原秀行)

災害/事故/不祥事カテゴリの最新記事