※この記事は2009年11月12日に執筆されたコラムを再掲載したものとなります。
日本では中間流通の効率化が日用雑貨品業界で特異的に進化した。卸がそれを主導したとして、前回のコラムでパルタックとあらたという2大卸を持ち上げた。
実際、両社に統合された地方卸の経営者たちは捨て身の覚悟で経営判断を下し、サプライチェーンの革新に果敢に挑んだ。
しかし、それは単に経営者たちに先見の明があり、決断力に優れていたというだけでなく、そうしなければ生き残れないほど追いつめられていたからでもある。
有り体に言えば、花王への脅威と敵愾心が、地方卸の経営者たちの背中を押し、経営統合、業界再編へと駆り立てたと筆者は理解している。
花王は1966年に「販社制度」を導入して事実上のメーカー直販に踏み切っている。卸の存在価値を否定し、メーカー主導による垂直統合の道を選んだ。
花王専用の発注端末を全国の小売店に配置して、囲い込みと市場のコントロールに努める一方、卸に変わる物流インフラの構築に多額の投資を断行した。
この卸中抜きに対する反発から、日用雑貨品業界に“反・花王同盟”ができあがった。全国の地方卸と花王以外の全ての日用雑貨品メーカーが団結した。
そのために他業界ではことごとく失敗した業界VAN(付加価値通信網)や競合メーカー同士の物流共同化が、日用雑貨品業界では定着している。
花王はまた物流の高度化にもトップダウンで取り組んだ。機械化を進めて工場の出荷機能を強化し、貨物の単位を荷役設備に合わせて標準化するユニットロード化や、物量の平準化を進めた。
垂直統合されたサプライチェーンは、取引先と利害関係を調整する必要がないので、トータルコスト削減に向けた改革を実現しやすいという長所がある。
それに対抗するため反・花王同盟もまた智恵を絞らざるを得ない。SCMというコンセプトが日本に輸入される以前から、サプライチェーンの全体最適化に向けたコラボレーションが進んだ。
その結果として、日本の日用雑貨品業界の物流オペレーションは隣接業界をはるかに抜きん出る水準にまで進化した。
加工食品大手の菱食は90年代末に日用雑貨品の取り込みに動いている。東北の中堅食品スーパー、ヨークベニマル向けの専用センターで加工食品と日用雑貨品の物流統合を図った。
欧米では加工食品と日用雑貨品が「グローサリー」として一つのカテゴリーで括られている。そのカテゴリー区分を日本にも持ち込んだ。
しかし、この試みは失敗に終わっている。日用雑貨品の物流オペレーションが破綻して菱食は撤退を余儀なくされた。
菱食は物流技術には自信を持っていた。バラ注文の高速処理システムをはじめ、それだけの実績があった。しかし日本の日用雑貨品の物流は、加工食品よりはるかに難度が高かった。
加工食品に比べれば、日用雑貨品は小さな業界だ。なめてかかっていたわけではないだろうが、菱食はまさか自分たちが強みとする物流で挫折するとは想像もしていなかったに違いない。
反対に、日用雑貨品の物流技術を他の分野に転用することは、十分に可能であり、また有効だと筆者は考えている。既に医薬品への転用は始まっている。
医薬品業界と日用雑貨品業界では、同じケース1箱当たりの物流コストに4倍以上の開きがある。医薬品の物流コストは日用雑貨品より4倍以上高い。
医薬品卸のメディセオと日用雑貨品卸のパルタックが2005年に経営統合し、お互いの物流データを付き合わせてみた結果、そのことが分かった。
そこで現在、パルタックの物流技術をメディセオに移植するというアプローチで、医薬品物流インフラの再構築が進められている。大幅なコスト削減が期待されている。
そこで活用されているパルタックの物流技術や情報技術は、北陸地方を地盤とする中堅卸、新和のノウハウがそのベースとなっている。98年に両社は合併した。
当時のパルタックの年商は約2000億円で日用雑貨品業界では圧倒的なトップだった。一方の新和の年商は260億円に過ぎなかった。
それでも合併比率は1対1で、新和の経営陣ほかスタッフたちは、新生パルタックにおいてもそれぞれ重要ポストに起用された。
その後、パルタックが経営統合したメディセオは、年商でパルタックの3倍以上の規模があった。財務基盤には、さらに大きな格差があった。
この経営統合で誕生したメディパルホールディングスの2009年3月期の連結売上高は2兆4600億円にも達している。
新和の元経営陣やスタッフたちは、新和時代から約100倍になった企業グループで、現在も物流・情報分野のコア人材として活躍している。
新和という会社はなくなったが、その物流技術は生き残り、発展を遂げている。地方の日用雑貨品卸が直面した厳しい経営環境が、会社の枠組みを超えたスケールの仕事と人材を生み出した。
一方の花王にしても、長年取引してきた卸をはじめ業界全体を敵に回してまで、サプライチェーンの革新を執拗に追い求めたのは、P&Gというグローバル市場の巨人に対する脅威が、それだけ大きかったからだろう。
P&Gが本格的に日本市場に参入する前に、効率的かつ排他的なサプライチェーンを構築することで身を守り、また全国規模のチェーンストアが台頭してもメーカーとして利益を維持できる体制を整える必要があった。
しかし、それにはフルラインの品揃えと全国規模の流通インフラ、それをペイできるだけの販売量、すなわち市場シェアの確保という条件を、すべてクリアしなければならない。
“メガ問屋”と同等の機能をメーカー1社で全て満たす必要があった。一つでも欠ければ、そこからビジネスモデルは決壊していく。細部まで気は抜けない。その代わり、実現すれば一人勝ちだ。
大きなリスクと摩擦を厭わずに進めたSCMが、結果として花王に2005年3月期までの24期連続増収増益と、日本市場のガリバーとしての地位をもたらした。
中間流通を自社運営することで、花王は同じカテゴリーのメーカー間、あるいは流通業者間の横の競争から、サプライチェーン同士の縦の競争に市場の競争軸を移した。それが日用坂品業界のSCMを進化させた。
したがって日本の日用雑貨品の中間流通が効率的なのは、卸の功績が大きいのは事実だが、それと並んで花王もまた偉かったということになる。
人口減少に向かった日本では、今や多くの市場が成熟化し、サプライチェーン競争に突入しようとしている。そのリアルな姿を日用雑貨品業界は示している。
(大矢昌浩)