第1回 「令和8年熊本地震」が浮き彫りにした地政学リスク
ロジビズ・オンライン独自の新連載、いよいよリニューアルスタートします! 今後は国際安全保障論、国際テロリズム論などを専門とされ、国内外のさまざまなリスクの分析と対応に詳しい国際政治学者の和田大樹さんに、サプライチェーンを含めて日本が直面する多様なリスクにどのように向き合うべきなのかを解説していただきます。これまで以上に濃密で有益な内容になること間違いなし!ぜひご一読ください。
プロフィール
和田 大樹氏(わだ・だいじゅ)
国際政治学者。1982年生まれ。米国ダウ・ジョーンズ社傘下の地政学リスク分析組織オックスフォード・アナリティカ、英国Gatehouse Advisory Partnersなどで外部有識者として参画。海外のコンサルティング会社に地政学インテリジェンスを提供する企業Strategic Intelligenceの代表取締役CEOを務め、シンガポールの研究機関で特任教授、スリランカの外交シンクタンクで上席研究員を兼務。専門分野は国際安全保障論、国際テロリズム論、経済安全保障政策など。

地震にいかに備えるか
自然災害が産業基盤を揺るがす光景は、日本において決して珍しいものではない。しかし、熊本を舞台に7月発生した「令和8年熊本地震」が提示した課題は、単なる地方都市の防災や復旧という枠組みを超え、現代の世界情勢や安全保障と深く結びついた地政学リスクそのものである。
東アジアを中心とする国際情勢の緊張が高まる中、世界的な重要戦略物質である半導体のサプライチェーンにおいて、熊本という地域が果たす役割は極めて大きくなっていた。その中枢を突いた今回の地震は、国家安全保障、産業の適地選定、そしてグローバルサプライチェーンのリダンダンシー(冗長性)確保という、現代日本が直面する重層的な課題を鮮明に浮き彫りにしたと言える。
九州、とりわけ熊本県は近年、台湾積体電路製造(TSMC)の進出をはじめとする世界的企業の相次ぐ投資を受け、先端半導体の一大集積地へと急速に変貌を遂げていた。国や地方自治体が一体となって強力に推進してきたこの産業誘致は、単なる地域経済の活性化にとどまらず、地政学的観点からも高度な戦略的意味を担っていた。
台湾海峡をめぐる地政学的リスクが懸念される中、半導体生産の過度な集中を回避し、日米をはじめとする同志国間で安定した供給網を構築する「フレンド・ショアリング」の重要拠点として熊本が選ばれたからである。利便性に優れ、水資源や関連インフラが充実したエリアに半導体関連産業を集約させる手法は、物流の最適化や技術移転、サプライチェーン全体の効率を極限まで高めるという意味で、平時においては極めて経済合理的な解であった。
しかし、この高密度な産業集積は、同時に単一の地域的な災害リスクに対して極めて脆弱になるという構造的ジレンマを最初から抱え込んでいる。前回の大地震からわずか10年という短期間で発生した今回の地震は、集積がもたらす利便性が、ひとたび有事が起きればボトルネックとなり得る現実を突きつけた。現在の科学水準では次の大地震の正確な発生時期をピンポイントで事前予測することが困難である以上、いつ起こるかわからないリスクへの備えが問われていたわけである。
もっとも、今回の事態は完全な想定外だったわけではない。政府の地震調査研究においても、今回の原因とみられる断層「日奈久区間」は最も警戒すべき活断層の一つとして位置付けられており、事前にある程度の危険性は予見されていた。そのため、半導体関連工場も建物の免震機能を強化し、万が一の操業停止に備えて部材や製品の在庫を積み増すなど、企業レベルでの有事対応やリスク分散の取り組みは進められていた。
それでもなお、地震発生によって工場操業の一部ストップや、高速道路などの広域交通インフラの寸断を余儀なくされ、サプライチェーンの混乱が長期化する懸念が生じている。企業単独の対策だけでは対応しきれない課題も浮かび上がった。

「令和8年熊本地震」では高速道などの社会インフラに被害が出た(写真は九州自動車道の川田橋=宇城氷川スマートIC~八代IC間=の被害の様子・NEXCO西日本資料より引用)
地政学的な視点に立てば、産業の「一極集中による効率化」と「分散配置によるリスクヘッジ」のトレードオフをいかにコントロールするかは、国家の経済安全保障に直結する課題である。地政学的リスクを分散させる目的で日本に整備されたはずの拠点であっても、自然災害という別のリスクに晒されるのであれば、サプライチェーンの安定性を十分に確保することは難しい有事の際にも物流や生産を維持、あるいは迅速に復旧できる強いレジリエンス(復元力)が担保されて初めて、その地域は地政学的な安全地帯としての真価を発揮する。
今回の地震は、産業誘致やインフラ投資において、単なる平時の利便性や経済効率のみを優先することのリスクを改めて浮き彫りにした。重要産業が集積するエリアであればあるほど、災害リスクへの対応を最優先課題と捉え、代替輸送ルートの確保や広域インフラの強靭化を事前に講じておくことが不可欠である。
熊本が今後も世界の半導体サプライチェーンを支える不可欠なハブであり続けるためには、自然災害という地理的制約を克服する強いインフラ構造と、有事の混乱を最小限に抑えるロジスティクスの再構築が強力に求められている。
(了)








