戦国時代のロジスティクス【戦国ロジ其の1】

戦国時代のロジスティクス【戦国ロジ其の1】

いつの時代も『腹が減っては戦ができぬ』

戦国時代といえば戦争。戦争といえばロジスティクス。
唐突ではございますが戦国時代の合戦と兵站のお話。

漫画や小説などで描写されるのは華やかな合戦シーンが中心です。

しかし、その裏には兵站の存在が不可欠なのです。

小さな合戦では各自お弁当持参&現地調達

一言に戦国時代と言っても、その中期の頃まではそこまで大きな合戦は多くなく、数百規模程度のものが中心でした。

もちろん初期には『応仁の乱』のような大規模な合戦もありましたが、その当時の大勢力(大内、山名、細川、畠山など)が衰えてしまい、このような規模の合戦は起こりにくくなったのです。

逆に言えば、守護大名や管領、将軍といった室町幕府の支配層の弱体化が進み、大規模な動員が難しくなる(=その支配から解き放たれた小規模な国人領主などがフリーダムに暴れだす)ことで乱世が本格化しました。
結果、大規模会戦は減少し、小規模な合戦が多発するようになりました。

そのような規模の小さな戦で遠くまで行軍……などということはまずありえませんので、ほぼ近所の国人領主との小競り合いや、下手をすれば隣村との(少々過激で死人がでる)ケンカレベルです。

動員人数が少なく、比較的短期間で終わる程度の合戦であれば、ロジスティクスというほどのシステムは必要ありません。

動員された兵たちは3日分の腰兵糧(お弁当)を持参することが当時の常識だったようですが、4日目以降の分は現地調達(主として略奪)が基本となります。

略奪といえばモヒカン達が可哀想な農村を襲うようなイメージですが、当時の農民はただ奪われるだけの弱い存在ではありません。家には当たり前に武器があり、近所で合戦があれば落ち武者狩りに精を出すヒャッハーな人々でもあるのだから。

半士半農の人々も多く、農業が不作であれば、その穴埋めのために戦(略奪できる!)を望むことも当たり前。別に不作でなくとも勝てる戦は大歓迎!!
農民をドロップアウトした不良少年、田畑を相続できない次男三男が、ならず者や足軽になるなんてことも多かったはずです。

合戦の大規模化

そのような小規模な合戦が繰り返されていくうちに、国人領主の中から台頭してきた大勢力が出てきます。
また守護大名などの有力家臣やその一族などが、いわゆる下剋上によって成り上がってきたケースも多く見られました。
多くの守護大名が没落する中、その軍事力と支配体制を逆に強化して戦乱の時代へ適応していく守護大名も存在しました。

国人領主が出自
毛利氏(安芸国人一揆の一員)
浅井氏(もとは近江の豪族。主君の京極氏を傀儡化、後に追放)
長宗我部氏(平安時代末~鎌倉時代初期頃に土佐へやってきた秦氏の末裔豪族)
松平氏(江戸幕府を作った徳川氏の母体。新田義貞を出した新田氏の末裔を自称)
三好氏(乱世に頭角を現し細川氏の有力家臣に。甲斐源氏の傍流の支流。のちに戦国最初の天下人、三好長慶を輩出)
……。

守護代など室町時代の有力家臣が出自
尼子氏(南北朝時代のバサラ大名で有名な佐々木道誉の子孫、京極氏の分家)
朝倉氏(斯波氏の守護代を務める重臣)
長尾氏(山内上杉氏の守護代。上杉謙信以降の上杉氏の実質的母体)
斎藤氏(斎藤家は守護代の家系も、道三は斎藤を名乗っただけ。商人が出自?)
北条氏(初代早雲は幕府政所執事、伊勢氏の一族。中央の官僚が関東で任務を果たしているうちに独立。北条を名乗るのは2代目氏綱から)
島津氏(守護大名の傍系から下剋上、守護家を乗っ取り)
織田氏(斯波氏の守護代の傍系。本家を倒して尾張を掌握)
……。

守護大名が出自
武田氏(もともと源頼朝と同格だった甲斐源氏棟梁。源氏の超名門)
今川氏(足利将軍家御一家、吉良氏の庶流。将軍位継承権ありとも言われる足利政権の重鎮)
六角氏(長く畿内にまで影響力を持ち続けた近江源氏の名門)
大友氏(鎌倉時代に鎮西奉行へ任じられた。祖は源頼朝の落胤と自称)
……。

『信長の野望』シリーズや歴史小説、漫画でもお馴染みの戦国大名達ですね。

彼らが大規模会戦を繰り広げるようになると、総数が万を超える戦いも多くなります。
近所の小競り合いではないので、それなりに遠征ということにもなります。数ヵ月の籠城、攻囲戦というのも珍しくありません。
単純に大人数を長期間食わせる必要が出てきたのです。
これまでのように農村をいくつか襲ったところでとても賄いきれません。

また、このレベルの戦国大名になると、侵攻→支配→領国化ということをそれなりに真剣に考えています。
山賊に毛が生えたような国人領主のようにいつもいつもヒャッハーできません。
戦後の統治を考慮すれば、略奪は用法用量を守って適切な範囲内で行う必要があるのです。

なお、鎌倉~戦国期の武士のアイデンティティに新渡戸稲造的な武士道精神などという甘っちょろいものはなく、もちろん殺人や略奪が人道に悖るなどという倫理観は希薄です。主君でも都合次第で殺すし、民衆も自分の利益次第で保護します。
確かに名誉を重んずる人々でしたが、それは臆病者や弱者と見なされれば(=ナメられれば)不利益を被るからです。極道と同じくメンツで飯を食っているのです。
武士の面目を潰されたのなら、四の五の言わず殺さねばなりません。

このあたり『モーニング』で連載していた『バンデット -偽伝太平記-』における描写は秀逸でしたので、興味があればご一読ください。


「バンデット 偽伝太平記(3)」より

馬小屋の塀に生首を絶やすな。屋敷の門前を通る修行者や乞食は弓の的にしろ
(男衾三郎絵詞)

天皇だの上皇だのが必要なら木彫りや金の像で作り、生きている奴の方は流してしまえ
(太平記 高師直)

武者は犬と言われようと畜生と言われようと勝てばよかろうなのだ
(朝倉宗滴話記)

日ノ本一の正直者ゆえ、義理や人情という嘘はつきませぬ。裏切られるのは弱いから裏切られるのです。裏切られたくなければ、常に強くあればよろしい
(松永久秀が織田信長に言ったとか)

鎌倉時代の『御恩と奉公』という言葉が象徴するように、主君と家臣はギブアンドテイクの関係です。家臣にとって主君とは、自分の利益のために存在するのです。
利益にならない主君など害悪ですので排除する必要があります。相手が征夷大将軍でもそれは同様で、鎌倉の源氏将軍や室町の足利将軍は、けっこう頻繁に暗殺されたり京を追われたりします。18人中暗殺は少なくとも4人。都落ちはいっぱい。家臣に解任されてしまった人もいます。

領主と領民も同じで、領民にとって領主とは、自分の利益のために存在するのです。
戦争に強くて略奪をさせてくれる領主は、良い領主です。税が安いのも良い領主です。
みんなで盛り立てていきましょう。少なくとも良い領主であるうちは。
戦争に弱い領主は、悪い領主です。重税なんて最悪。
チャンスがあれば殺すか追放してしまいましょう。近隣の強い領主を引き入れるのも良い考えです。

『軍師官兵衛』で有名な黒田如水(孝高、官兵衛)は以下のように語ったと言います。

神の罰より主君の罰は恐ろしい。主君の罰より臣下の罰は恐ろしい。
なぜなら神の罰は祈ればなんとかなる。主君の罰は謝ればよい。
だが臣下百姓にうとまれたら必ず国を失う。
祈っても謝ってもその罰は避けることができない。
だから神の罰、主君の罰より臣下万民の罰はもっとも恐れなければならない。

リアリストでなければ生き残れない時代の君主達が、合理的な判断の元で各自の戦略を構築します。
略奪で充分に補給を賄えないとなれば、食料を始めとした様々な物資を持ち込んだ上で戦争をするなり、あるいは現地で買い付けるなりしなければなりません。
大所帯となった戦国大名達はそれぞれのドクトリンに沿ったロジスティクスの構築を余儀なくされたのです。

(芳士戸亮)

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